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事例研究:自転車で転倒し、胸を強打した~内田整体の実際

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当院では、どんなことをやっているのか、いまひとつ分かりづらい面があると思う。
20年近くやってて、うすうす気がついてるんだ。
いわゆる整体院らしくないって。
そこで、事例を1つ紹介してみたい。
クライアントさんには承諾を得たので、
筆者が何を見、何をしようとしているのか、いつもより詳しく書けるはずだ。

クライアント

40代男性。
自転車ロードレース練習のため、競技仲間と走行中、
あやまって転倒。胸右側を強打した。
自力走行して帰宅するも、少しの動きだけでも痛むため、
翌日午前、整形外科を受診。
レントゲン等異常が見られず、打撲と診断された。
同日午後、当院へ来た。
できれば、4日後のランニング競技に参加したいとのこと。

何度か来院しているので、顔なじみだ。
状況把握のため、はじめに少し話す。
受傷状況は割と詳しく聞き、家族や仕事の状況にも簡単に触れる。
その間、表情や細かな動作を見ている。
手足に擦過傷の絆創膏が数カ所。
この日は、対話より施術台が中心になりそうだと思う。

ハンズオン(hands on)

さて、施術台に仰向けになってもらう。
こういう急性期に近い場合は、とりあえず、1番痛いところへ、
ハンズオンだ。

ここで言うハンズオンは、文字通り、手を置くってこと。
筆者の場合は、状況によって、手のひら全体のときや、指先数本のときもある。
固さや痛さの度合いを見るために、多少、指圧っぽく押圧することもあるけど、
もんだり、叩いたり、さすったりするわけじゃない。
ただ、置いておく。
そして、待つ。

治そうとか思ってるわけじゃない。
クライアントの人生における、このプロセスを全体で感じてるだけ。
たいていの場合は、痛みが方向を見せてくれるはずだ。
何言ってるか分からない?
まあ、先を続けよう。

しばらくすると、どんなだか書き表せないんだけど…、いい感じ、
そう、いい感じが来るので、手を離す。
この段階で、痛みは3割ぐらい減ってるはずだ。
実際に、クライアントに確認すると、
その通りだったので、いったん痛みのある場所以外を見に移る。

転倒などの場合、身体の防衛機能が働いて、
あっちこっちの筋肉が固くなってることが多い。
その余分な固さを見ておこうってわけ。
右手から右腕、右肩のあたり…。
やはり、打った側は固い。
左手から左腕、左肩のあたり…。
意外なくらい、こっち側に固さはない。
それから、首…。
首は大事。転倒の際、むち打ち様になっている可能性がある。
うん、悪くない、いい感じ。
それから、足の方も見て、痛い所に戻ると、
痛みの範囲は狭まってるのが分かる。
触れているだけで、身体の状況は変わっていくものなんだ。

そこで、左手で痛いところにハンズオンしながら、
右手で、クライアントの右膝上あたりの内転筋群をはじく。
規則的にっていうか、クライアントの固有リズムに合わせて、はじく。
そうやって生じた物理的振動が、急激な変形と復元を通り抜けた肋骨と、
その周囲の筋肉を、何て言うか、沈静化していくはず。
不揃いの紙の束をそろえるみたいな、と言えば想像がつくかな。
左手にいい感じが来たので、肋骨を少し圧迫して、たわめてみる。
よし、痛みは出ない。
クライアントに動いてもらって、痛みの感じをみてもらう。

さざ波

痛みは半分ぐらいになっていると言う。
どうやら、プロセスの方向に寄り添えていると思う。

ここで、右側を上にして、横になってもらう。
背中側の筋肉や肋椎関節部を見ながら、やはりハンズオン。
身体表面から数十センチのところにも違和感があったので、そこにも。
はたから見たらあやしいだろうと思う。
ときに手を宙に浮かせた状態にもなるってことなんだけど、
通常の身体のイメージに縛られてる人にとっては、考えられないことだろう。
でも、そうした方が、症状は落ち着く気がする。
このときも、そうだ。
そうなると、感覚のいいクライアントなら気がつくかもしれない。
案の定、クライアントが言った。

「身体をさざ波みたいなものが通っていくのを感じる」

人によって、清流に浸っているようだ、とか、
光に包まれているようだ、とか、印象は違う。
まったく気がつかない人も多いが、そういうときでも、
胃腸がキュルキュル鳴り続けていたりする。
そう、これがハンズオンで起こっていることの1つだと思う。
何だろうって、
いろいろ考えたり、知ってそうな人に会いに行ったりした時期もあったけど、
いまは意味づけしていない。
ただ、そんな感じがあるだけなんだ。
どうしてもって説明を求められたときには、気功みたいなもんって答える。
まれに宗教論争を仕掛けてくる人がいるけど、
筆者にとっては、どうでもいい話だ。
いい感じになるんだし、何より気持ちよさがあるんだから、
それでいいのにって思う。

そろそろ、セッションの終わりの感覚が来そうだ。
クライアントに、痛みの程度を見てもらう。

印象

立ち上がって動いてもらう。
痛みのレベルは、来たときを10とすると、残り2~3。
筋トレしすぎた後の、筋肉痛が少し強いな程度になっていると言う。
週末走ることを考えているから、念のため、
もう少しプロセスを追った方がいいかなと思う。
今度は、施術台に腰掛けてもらう。

目を凝らすと、打撲面あたりの細胞たちのざわめくような印象がある。
繊細な情報が、筆者の中でイメージを結んだんだ。
そこで、両脇を挟み込むようにハンズオン。
そうすると、来た。
いくつもの目が、彼を見ている。そういう印象。
しばし、手を離して、印象を追う。
追うが、クライアントに話すのは後回し。
でないと、捕まえ損なう。

仲間と走行中の転倒だった。
仲間の目の前でのミス。
恥ずかしいとかいう心理はどう働くだろうか。
そう思いながら、ハンズオン。
すぐにクライアントが言った、痛みが強くなったと。

違う、方向が違うんだ。
自分のミスで転倒。
その際、後ろを走行していた仲間を巻き込むこともなく。
救急車を呼ぶほどのことにもなっていない。
これは、つまり、目立つことができたんだ。
おいしいってこと?
笑うしかないだろ。
そう思い至って、ハンズオン。

痛みは激減。

あとは、クライアントに印象の内容を話して、
しっくりするか感じてもらって、おしまい。

のはずなんだけど、実際はもう1枚深層があった。
その層を通り抜けたのは、クライアント自身の勇気だ。
そして、週末クライアントは走ることができた。
この辺の話は、また機会があればね。

プロセスにしたがう

治すわけじゃない

間違えてほしくはないんだけど、これは医療ではない。
もとより、これは治療とかそういうものではない。
病院での治療を妨げることはないから、
並行して来る人が多い。

そしてね、
よくなってほしいって気持ちは、人一倍のつもり。
だけど、セッションに入ったら忘れる。
治すなんて意図があったら、じゃまになるだけだし、
思い込みがあれば、繊細なサインを拾うのを妨げる。
だから、切実な思いでいらっしゃる人には大変申し訳ないと思うが、
結果っていうか、症状そのものがどうなるかは、
やってみないとわからない。
悪くなることはないけど、思ったように変わらないってことはあり得る。
上の事例は、痛みを追いかけたら、たまたま痛みが消える方向へ動いたってだけ。
まあ、そうなる事例が多いから、勘違いしがちなんだけど、
ほんとうは、効くとか効かないじゃないんだ。
じゃあ、何なんだって言ったら、

あなたが気づかずにいることの中で、
きっと気がついたら、
生きるのが楽になるんじゃないかなってことを
見つけようとしてる。

だから、あなたが、症状だけをどうにかしてって来たとしても、
求める通りになるとは限らない。
もっと別の書き方をしているところ、
「絶対に治ります」みたいのがいいなら、
そちらへどうぞとしか言いようがない。

むしろ症状のために

ふつう、人は症状をじゃまにする。無くそう、取り除こうとする。
でも、ひょっとすると、逆なんじゃないかなって、
症状のじゃまをしているのは、その人自身だったりってことはないかな。
通り過ぎようとする症状を通せんぼする。
症状の役割を完結させてあげない。
そうして、かえって長引いたりする。
たまには、症状のために、何ができるか考えてもいいのに。

こう言ったら、もっとわかりやすいか。
身体を1つの会社に見立てる。
ある部署が非常ベルを鳴らした(これが症状)。
社長(これが頭)は、現場の声を圧殺するだろうか、
それとも、耳を傾け、話し合おうとするだろうか。
あなたは、どちらの経営方針をとる社長だろう?

プロセスにしたがう

セッションの間、筆者はクライアントとともに歩んでいる。
たたずんだり、迷ったりもしながら、進む方向が見出されるのを待つ。
筆者が何かをしているわけじゃない。
プロセスが展開するのを待っている。
プロセスという言葉を言い換えれば、道(タオ)とか、流れとかの繊細な動き。
その動きに合わせようとしている。
というか、動きに合わせる以外に生きようがない。
そして、合っているとき、生きるのが楽になる気がする。
そういう方向を見いだすために、整体術や心理を一緒にして使っている。
感覚をとらえたり、印象を追跡したりっていうのはシャーマン的だけど。
それら全てを使って、症状をはじめ、身体や心だけでなく、人生全体を超えて、
宇宙をとらえようとしている。
クライアントの人生の総体として、
どのように花を咲かせようとしているのかを見ようとする。
言葉にすると、ちょっと大げさかな。だけど、
それが、内田流のセッションなんだ。

最後に、
今回の事例のクライアントさんへ、
掲載させていただき、ありがとうございます。
それから、
読んでいただいた人へ、
ありがとうございます。

 

 

 

 

 

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